9/19日 9/22日 秋のお彼岸参りを執行しました。
母が不在で初めての行事でしたが、皆さんのお手伝いで滞りなくお参りすることができました。またたくさんのお参り頂き、良い行事となりました。
次の日は母の49日でありまして、妹たちも手伝いにかけつけ、なんだがお盆もお彼岸も母が段取りしてくれたように感じます。
向こう側からも暖かく見守ってくれていると思わずにいられません。
皆さんの大切な方に心寄せる時期、季節の変わり目に改めて感謝する時間を持つことは素晴らしいですね。きっと亡き人もみてくれていると思います。
段々と秋めいて参りましたお体お気をつけて、今ある命を精一杯生きていきましょう。 合掌
お寺で音楽会 2回目
福王寺100周年事業 本尊へ蚤入れ
令和6年 盂蘭盆会
福王寺内室 福井眞知子 逝去
令和6年8月6日、母がとうとう逝ってしまいました。
7月末からご飯を食べられなくなり、段々と力を落としていきました。
妹たちも駆けつけて、在宅看護を選択し、介護すること約一週間、孫たちに囲まれながらの最後でした。
朦朧としている中でも、孫たちに気を配り、最後は「幸せだと」言って亡くなって行きました。最後まで母らしく人を励ます存在でした。檀家さんも心配してくれて駆けつけてくれましたが、相手するのは疲れてしまうからとお断りしたことすみませんでした。
葬儀も檀家さんたちの手によって送られ、本人が生前「みんな葬儀を小さくするけど、最後くらいは派手に送って欲しい」との言葉通り、きちんと送れたのではないかと思います。本当にたくさんの人に見守られ旅立っていかれました。
皆さんのおかげです、本当にありがとうございます。
母は本当にお寺が好きで、一生懸命に皆のために頑張りました、毎日の仏さんへのご飯のお供えは欠かしたことがないですし、自分よりもお客さんを優先に、また境内もいつもお参りしやすいように努力され、それが当たり前のように行動していました。
お寺に来ては、母の顔をみると元気が出る、母に会いに来たといった具合で、言いたいことをズバズバ言う割には慕われる不思議な人徳の持ち主でした。
それもひとえに、人を思う力が卓越していたからかもしれません。
父の真面目の性格もあり、お寺は発展しました、庭の整備や庫裡の建築、本堂の建築、北見別院の建立、数え上げれば一代でなしえた事業は素晴らしいものがあります。
母がいなくなったお寺は寂しくなりますが、母の分までお寺がより良いものになるようみなさんと共に頑張って行きたいと思います。
ぜひお気軽にお寺にお参りに、散歩に、遊びに来て下さい。
母はいませんが、きっとお寺にいて皆さんを見守ってくれていると思います。
心よりの感謝を込めて、冥福を祈ります。 合掌
樹齢100年 桜の木伐採
6月25日 村松さんなどお手伝い頂き、桜の木を伐採しました。
太い枝が途中から折れ、近隣の方に危険とのご指摘をうけ伐採を行いました。
高所作業車をお願いし、またクレーンを借りた大々的な伐採となりました。
怪我もなく無事におわり安心しております。
お手伝い頂いた皆様本当にありがとうございます。 合掌
毘沙門天祭(藤まつり)
令和6年6月2日 10時~15時 毘沙門天祭を執行しました。
今年初の試みで、5月の山開き並びに毘沙門天祭と、7月の地蔵盆の行事を合併し、藤とツツジがキレイな季節に檀信徒問わず、たくさんの方にお参りいただけるようにしました。
福王寺の毘沙門天は昭和9年の冷害の大飢饉を受け、豊作であるよう御詠歌の方たちが街中から寄付をあつめ福王寺に奉安されました。
それ以来90年ほど春に吉祥を願い祈願させて頂いています。
この度は檀信徒だけでなく、企業さんなどたくさんの方に祈願のご案内をさせて頂き無事盛大にお参りすることができました。
奉納ダンスとして、地元のフラダンスの方やキッズダンスの方がお寺を盛り上げてくださり。
キッチンカーやお茶(茶道)なども境内に賑わいをもたらせました。
「お寺は敷居が高い!」、確かに入りにくいものですが、こういった機会にお寺に来て楽しい時間はもちろん、手を合わせる機会、感謝する機会、自分自身を見つめる機会となっていただければ嬉しい限りです。
予想以上のご来寺に駐車場などご不便をおかけしましたが、来年も続けていき「柴又の帝釈天」というように「津別の毘沙門天」としてたくさんのかたが必要とされ、お参りに来られるお寺を目指していきたいと思います。
お手伝い頂いた方が大変お疲れ様でした。
たくさんの方が喜んでいただけました。 本尊様をはじめ、毘沙門天様の加護がありますよう。 合掌