8月15日 13時半より 北見別院
8月16日 10時より 津別福王寺にて
盂蘭盆会、施餓鬼法会を実施しました。
施餓鬼ってなんだろう?何故お盆に?
長文です。盂蘭盆経に、目蓮尊者のお話が語られている。
餓鬼の世界に落ちたお母さんを、供養の力によって助けるというお話。お母さんはもちろん、その功徳は七代前に遡った父母までも救われるという。
また阿難尊者の前に餓鬼が現れ、3日後にあなたは死に、私のような餓鬼になると言われる。阿難尊者はその苦を免れるために、餓鬼に施し供養する、延命の功徳や布施の功徳が説かれています。
お盆には、もう一方で御霊帰りの信仰がある、13日に帰ってこられて、16日に戻られる。地域性もあり多様な形がある。帰ってこられるのに、足下が暗くては難儀だろう。迎え火や提灯で灯りをともし、お迎えする。精霊棚をつくり季節の野菜などでお接待する、そして帰られる時に、灯籠流しや塔婆供養をしてお見送り。精霊馬や牛は、そうしたみんなの気持ちがお供えとして形になったものです。
こんな文化の中、何故お父さんお母さんでなく、餓鬼までを供養するのか?お経に基づくのはわかるのですが、イマイチしっくり来ませんでした。
先祖が帰ってくるので、悪い者もついてくる。先祖だけでなくてすべの命を供養する、そんな感じで思ってましたが、しっくり来ることを説かれていましたので、シェアします。
そもそも餓鬼界とは、どういった人が落ちるのか?それは貪欲が強い人です。 あれもほしい、これも欲しい、ケチで、自分のことしか考えない、渇望の強いひと達です。
餓鬼とは私たちの欲望ともいえます。自分のことだけ考える欲望です。
目蓮尊者も阿難尊者も布施する事によって救われました。
そして盂蘭盆経には、七代前のお父さんお母さんまでも救われると説かれ、こうなるとお父さんお母さんだけでなく、生きとし生けるものへの供養となり、自分だけでなくなります。つまり私たちの餓鬼の心、渇望する心から、与える心、人を思い、命を思う布施する心を持ちましょうという期間なのだという事です。
与える、布施することの出来る期間、ありがとうという気持ちを表し、心通わせる時間。それがお盆なのかなーと。
お盆になると本当に老若男女問わずたくさんの方がお参りにきます。お世話になった方々に思いを寄せる。その方のために手をあわせる、人のために過ごす時間。優しい文化だと改めて思います。
だんだんお盆休みも関係ない時代となってますが、大切にしたいですね。
考えると仏壇もそうなのかもしれませんね。祈ることはもちろん、私達が布施できる場所。生存本能に支配され、自分だけの欲望になりがちな中、人を思い何かをしてあげられる場所があるのは有り難いものだと思います。
改めて亡き人に想いを寄せて、ありがとう。 合掌