6月18日 午前8時より 成年部の下座行を執行しました。
普段の手入れでできない場所や、草刈りなど、目にみえて境内が良くなります。
今年度は、垣根の背が高くなってきましたので、チェーンソーを持ち寄ってもらい、落としてもらったり、草刈りも展望台まで刈ってくださって、とても良い境内となりました。
皆さんあってのお寺ですね!






6月15日 弘法大師生誕のお参り、青葉まつりを執行し、婦人部の総会を行いました。
来年は生誕1250年の年をお迎えすることになりますが、こうしたお大師様の功績が今の世にもあり、私達を導いてくれている。
様々なご縁を作ってくださっていることに、有り難さを感じます。
また朝早くから、花を持ち寄って花壇を整えてくださいました。 いつも感謝です。
お寺は不思議なもので、私が子供の頃から出入りしていた人が向こう側に去っていっても新しい方が来られて、同じように守ってくださる。
人の優しさや貢献に思わず手を合わせてしまう気持ちになります。
この度も、北所部長 原副部長 が退任され、
平田副部長が部長に、べんとさんと 金一さんが副部長に 西原さんが監査となります。
本当に長い間ありがとうございます。 是非役を降りても来てくださいね。
また、新しい体制でスタートしますが、笑顔あふれ、心通わせる場となりますように。 合掌
5月10日 例年行っております。 境内の八十八ヶ所巡礼お山開きと、毘沙門天様のお祭りを執行しました。
和やかな天気となり、とても気持ちの良いお山開きとなりました。
ゆっくりと歩いて石仏を拝む、テレビをみていたり、映画をみる時間も良いと思いますが、自然にふれ、祈りにふれ、いのちを味わう時間も素敵な時間ですよ。
そして、いつもはお昼を挟んでいたのですが、コロナ対策のためそのまま毘沙門天様のお参りを執行しました。
皆さんに福徳がありますようご記念もうしあげ、餅まきも執行しましたよ!
毘沙門天様のご加護がありますよう。
ぜひお気軽におまいりください! 檀信徒の方以外も歓迎です。
また法会に際して、水子地蔵、六地蔵のお袈裟を新調頂きありがとうございます。
そして、前日から餅つきありがとうございます。
供養しあってよい時間となりますよう。 合掌
オン ベイシラマンダヤ ソワカ
オン カカカビ サンマエイ ソワカ
南無大師遍照金剛
3月18日 北見別院 3月21日 津別福王寺にて春彼岸、
並びに弘法大師正御影供法会を実施致しました。
前日の大雪でどうなることかと思いましたが、藤原さんが除雪してくれ大変助かりました。
ウクライナでは戦争が始まり、気持ちが張り裂けそうなニュースが流れています。
誰しもが生まれたからには「幸せになりたい」、「幸せであって欲しい」と願う中、
どうしてこんなにも酷い現状があるのか驚きです。
一日も早い停戦を祈願致します。
さて、朝のドラマの「カムカムエブリバディ」を観ているのですが、その中に「小豆のおまじない」というフレーズが印象的です。
その都度毎に現れるメインテーマのようなフレーズ。
「小豆の声を聴けえ。時計に頼るな。目を離すな」
「何ゅしてほしいか小豆が教えてくれる」
「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ」
「おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。おいしゅうなれ」
「その気持ちが小豆に乗り移る。うんとおいしゅうなってくれる」
「甘えあんこが出来上がる」
この何して欲しいかは「小豆が教えてくれる」、という言葉が好きです。
私達は「あんこを作った!」となりがちですが、美味しいアンコは小豆が教えてくれる。「今が美味しいよ!」と小豆が私達にメッセージを放ってくれている。
小豆と対話しながら、アンコをこの世界に表現している。決して自分だけの力でなく、お互いが高めあって一つのものをこの世に生み出しているのです。
彼岸とは彼方の岸と書きます。インドではガンジス川に例えられ、向こう側を悟りの世界、こちら側を「此岸」、私達の住む苦しみの世界を表現します。
一つ言いかえれば、こちら(私)と世界(他者)とも言えるなと感じています。
自分を超えたところに到る世界が彼岸なのかな?とも考えるのです。
アンコにしてみても、自分が作っているのだけど、小豆が自分でアンコになるために美味しくなっているとこもいえる。
そこに、自分と他が融合したような世界があるのではないかと。
仏師の人も仏を彫り出すとき、木の中に仏がみえるとおっしゃり、ただ木が仏さんの姿になれるよう手助けしているだけのような感覚。
相手があってはじめて自分がいて、お互いが影響しあって今の世界が成り立っている。
それは死者でも同じかなと思います。たくさんのメッセージを死者たちが投げかけてくださる。「幸せでやりなさいよ!」、「応援しているよ!」、
「生きる」上で、もちろん私が生きるのですが、そういう存在に支えられて今私達があるという事も忘れずに過ごし、様々なメッセージを受け取って過ごしていきたいですね。
末筆ながら、一日も早いウクライナの戦争が終わりますようご祈念申し上げます。
南無大師遍照金剛
9月19日 日曜日 10時半より 道新文化センター講座「阿字観と精進料理」を執行しました。 コロナで6月に予定したものが伸び、毎年30名ほどですが、20名ほどに募集を減らし、お弁当にて対応する事で無事に執行しました。
今年で5回目ということで、年に一回の講座、5年もたったのだなと改めて有り難さを感じます。「阿字観の講座」は本山で講習を受けてからすぐに北見ではじめて、10年以上お世話になっており、オホーツクの地域でも「阿字観」という名前が少しづつ耳にする方も居たら良いなと思ってます。
瞑想が流行っておりますが、忙しい現代に一息ついて、自分の命と向かい合う、そんなひとときになればと思います。
受講された方、ありがとうございます! また来年もお待ちしております。 合掌
8月15日 13時半より 北見別院
8月16日 10時より 津別福王寺にて
盂蘭盆会、施餓鬼法会を実施しました。
施餓鬼ってなんだろう?何故お盆に?
長文です。盂蘭盆経に、目蓮尊者のお話が語られている。
餓鬼の世界に落ちたお母さんを、供養の力によって助けるというお話。お母さんはもちろん、その功徳は七代前に遡った父母までも救われるという。
また阿難尊者の前に餓鬼が現れ、3日後にあなたは死に、私のような餓鬼になると言われる。阿難尊者はその苦を免れるために、餓鬼に施し供養する、延命の功徳や布施の功徳が説かれています。
お盆には、もう一方で御霊帰りの信仰がある、13日に帰ってこられて、16日に戻られる。地域性もあり多様な形がある。帰ってこられるのに、足下が暗くては難儀だろう。迎え火や提灯で灯りをともし、お迎えする。精霊棚をつくり季節の野菜などでお接待する、そして帰られる時に、灯籠流しや塔婆供養をしてお見送り。精霊馬や牛は、そうしたみんなの気持ちがお供えとして形になったものです。
こんな文化の中、何故お父さんお母さんでなく、餓鬼までを供養するのか?お経に基づくのはわかるのですが、イマイチしっくり来ませんでした。
先祖が帰ってくるので、悪い者もついてくる。先祖だけでなくてすべの命を供養する、そんな感じで思ってましたが、しっくり来ることを説かれていましたので、シェアします。
そもそも餓鬼界とは、どういった人が落ちるのか?それは貪欲が強い人です。 あれもほしい、これも欲しい、ケチで、自分のことしか考えない、渇望の強いひと達です。
餓鬼とは私たちの欲望ともいえます。自分のことだけ考える欲望です。
目蓮尊者も阿難尊者も布施する事によって救われました。
そして盂蘭盆経には、七代前のお父さんお母さんまでも救われると説かれ、こうなるとお父さんお母さんだけでなく、生きとし生けるものへの供養となり、自分だけでなくなります。つまり私たちの餓鬼の心、渇望する心から、与える心、人を思い、命を思う布施する心を持ちましょうという期間なのだという事です。
与える、布施することの出来る期間、ありがとうという気持ちを表し、心通わせる時間。それがお盆なのかなーと。
お盆になると本当に老若男女問わずたくさんの方がお参りにきます。お世話になった方々に思いを寄せる。その方のために手をあわせる、人のために過ごす時間。優しい文化だと改めて思います。
だんだんお盆休みも関係ない時代となってますが、大切にしたいですね。
考えると仏壇もそうなのかもしれませんね。祈ることはもちろん、私達が布施できる場所。生存本能に支配され、自分だけの欲望になりがちな中、人を思い何かをしてあげられる場所があるのは有り難いものだと思います。
改めて亡き人に想いを寄せて、ありがとう。 合掌
#お盆 #施餓鬼 #盂蘭盆経 #目蓮 #阿難 #塔婆 #仏壇 #文化 #精霊馬 #ご先祖様