福王寺縁起

古義真言宗寺院創立趣旨   開基 憲雄和尚 啓白

 夫れ我が宗祖弘法大師は、生身の大日如来とて肉身を高野山の定窟に隠し給いたれど、心霊は永く此の土に活き復りて、所所に分身を現はし、無窮の利益を施して居られます。
彼の四国巡拝の信者が一面に大師の現罰を恐るること世の児孫が厳父に対するが如くなると共に、一面には大師の恩寵を仰ぐこと、世の子女が慈母に対するが如くなるを見ても大師の霊徳が千載の下、如何に人心感化の上に生きて働き給えるかを看取ることができるのであります。
大師は、真言宗の祖師では有りますが、古来宗派を超越して普く一般民衆の信仰帰依の対象本尊として尊崇礼拝せられ、殊に他宗の寺院にして大師を奉祀して居る所も沢山ある程で、その霊徳、日を遂て益々威光を倍増しつつあるは眼前争う可らざる事実であります。
然るに、當津別村には未だ真言宗の寺院なきを遺憾とし、茲に檀信徒有志相図り、秘密真の寺院を創立し、大師無限の慈悲光に浴し、身口意の三業を浄め、至心に礼拝供敬し以って現當二世の求願を祈らんと欲する者であります。仏塔は是れ一切人類の魂の郷土を表徴する光明心殿、寂光浄土、極楽世界であります。
有縁の善男善女は家運繁栄を記念する為、一つは祖先の永代回向供養の為、一つは万民信仰の霊場として、社会国家の道徳を振興する精神修養の道場として、創立の此の善行を助け、応分の浄財喜捨あらんことを切に御願い申し上げます。
昭和三年吉祥日
津別市街古義真言宗創立主任 権中僧都 福井憲雄 同檀信徒及び信者有志一同

開基住職 福井憲雄和尚

昭和11年本堂

當山は、高野山真言宗福王寺と称し、昭和2年6月15日、開基 憲雄和尚が新天地北海道の大地に新寺を建立、お大師様の教えを広めたいと発起、大願を抱いて茅ヶ崎輪光寺の住職を辞して渡道、現在地に止まり、開教に着手された事に始まります。
渡道してわずか一年、拠点となる5間四面の本堂が成り、開基住職の情熱はもとより、当時の有縁の人々が、どれだけお大師様のゆかりのお寺ができることを望んでおられたか、熱い思いが伝わってきます。
そして、18歳で師父と共に渡道された雅泉和尚はその意志をを継がれ、寺院としての基礎を築き、福王寺と寺号を公称、宗教法人としての認可を受け、第一世住職となりました。
現住職、全雅和尚代には、境内地の整備、本堂の改修、納骨堂、客殿、庫裏の新改築、そして平成8年、築60余年におよび老朽化する本堂の改築を発願し、当時の筆頭総代橋本幸松氏を中心に壇信徒一丸となって力をあわせ、現在の新本堂が建立され、駐車場の造成等によって現在の姿となりました。


開基憲雄和尚略歴と開教回顧録
大雄山福王寺 第一世雅泉和尚記
(昭和三十年頃の回想録より原文)

 憲雄師は、明治八年三月十一日、大阪市南区三津寺町八番地に生まれ、九歳にして父母の故郷たる徳島県麻植郡牛島村、宝生院住職真口宥超師の徒弟となり、明治二十八年八月、同県那賀郡加茂谷村大龍寺山内中学林を卒業、同三十年五月、法務支所の特命により二十二歳にして同県名西郡下分上山村字稲原、西光寺住職となる。

同三十五年、病弱により、寺を徒弟、田上憲道にゆずり、師僧の兼務寺、南佐古町、庚申山天正寺院代として病気保養し、明治三十七年、小川光義師兼務の京都山科別格本山安祥寺執事となる。

同三十九年、小川師が前高野山管長、泉 智等猊下の前住寺、四国第五番、五百羅漢荘厳院 地蔵寺兼務住職となるに及び、転じて同寺の院代となる。この間前後五ヵ年なり。

明治四十二年四月、神奈川県高座郡茅ヶ崎市字円蔵、輪光寺住職に転じて満二十ヵ年。この間、小学校教員勤務十二ヵ年、宗務支所代議員、同副支所長、県社会課主催の農繁期託児所長、県仏教慈徳会高座郡支部評議員、茅ヶ崎市各宗慈教会を創立して幹事長となり、社会事業に努むること十有七年。

大正十二年九月一日の大地震に遭遇し、家族五名、九死に一生を得て翌年より自坊、及び兼務寺たる西久保 宝生寺の復旧に千辛万苦の傍ら、同市震災横死者の永代供養塔建設を発願し、その事業の途中、同十五年十二月三日、師僧天正寺住職の遷化の悲報に接し、二十ヵ年目に始めて帰郷し、葬儀・初七日を終わり直ちに帰寺するや深く感ずるところあり、責任ある寺門の復旧なりしを以って、

昭和二年六月十五日、宗祖の降誕日を記念として北海道開教のため、第二の故郷たる輪光寺の門を去り、同月十八日午後七時、無縁にして一面識無き女満別高野山支部の豊沢弘盛師を訪問し、本道の状況等聴取、同年七月十日、美幌町弘栄寺豊沢弘真師の手引きにより、故一条米蔵氏が建設の遺物たる二十坪の平屋大師堂に入る。

 同二十四日、家族到着するに及び、宗祖にたいする報恩謝徳、終生の地として十方の信者が信仰の道場とし、又、祖先祭祀の霊場地として永代不朽の新寺創立を発願、同年十一月より開教に着手し、各戸を訪問、之が結束に努む。
此の行程において常に献身的態度を以って良く協力せし者は当市内の故田村ユキ、故井川ヨシノ、故中村増吉等の諸氏で其の功績は甚大なり。
 かくて翌昭和三年四月、本堂建築の協議成立するや中西彦太郎、故錦織捨吉、故松木佐次郎、小泉重兵衛、一条由三郎、上原秀次、西原脇太、故不藤庄蔵、藤原頼吉、故野宮清一、故伊藤源次郎、故井川和蔵、真鍋文平、高橋谷平、故大矢根藤太、故野上房太郎、山下円次郎等の諸氏は当院開創の世話人として尽力され、多大なる功労者なり。

 而して六月一日起工、七月三十日落成、八月五日仮入仏式、同年九月六日、一条アサノ寄付既設の大師堂を移転して現在の庫裏とし、茲に寺院としての外形はやや整うに及ぶ。 かくして翌昭和四年七月二十日、高野山大師教会本部附与の祖師尊像奉迎し、中西彦太郎氏宅をお旅所として九月二十一日盛大なる入仏式を挙行す。
当日の列席寺院は、網走弘道寺、成田寺、大法寺、弘明寺、弘栄寺、市内各宗寺院、稚児五十余名、参拝者無量一千名なり。特に中西彦太郎、小泉重兵衛氏の功労は衆人の認むる所である。

昭和十一年、現在の所に移転し、益々将来の発展に努力されつつありしに開基憲雄和尚は、昭和十七年三月頃より病魔に犯され、此の間、療養に務めること三ヵ年、その効空しく、昭和十九年五月三十一日、遂に七十歳を一期として遷化さる。六月四日、檀葬を以って執行す。導師は、斜里町宝光寺住職中川老僧正なり。組内寺院七カ寺、及び市街寺院七カ寺なりき。告別式参列者二百有余名なり。

                   開基住職 憲雄僧正 葬儀

 昭和十九年五月、老父師の後を継承して私事幸雄(雅泉)、寺門興隆の為に務む。昭和十九年六月二十五日、大東亜戦争の為応召し、同年九月二十八日除隊す。

 昭和二十年八月、敗戦により宗教団体法が廃止され、宗教法人法の発令となる。然して当山は未法人教会なるが故に法案改変により寺院としての法的根拠を失うこととなる。

長子幸雄(雅泉)は、師父の遺業を継承し、寺院の存続発展を確固たるものにせんがため、寺号公称の一大決心を以って東奔西走し、仏堂の修理、外構の整備、大正七年建設になる庫裏事務所の大改築(工費十四万余円)等、基礎維持の確立をすすめる一方、昭和二十二年、寺号公称を出願、ここに「大雄山福王寺」と称し、当寺の第一世住職となる。

 昭和二十四年四月、新四国八十八ヶ所霊場を整備し、山上に十六坪の展望台修養道場を建設(工費二十万円)、遊園地として開放する。

 昭和二十五年四月、多年に渡りて念願せる奥殿、並びに納骨所建設を発願、檀信徒の賛同を得て同年九月、建設の計画に及びたるも木材の高騰、及び経済面の行き詰まり等、困難な局面に遭遇せるも是を興起踏破し、檀中良く協力、奇しくも高祖弘法大師御衣替え一千年にあたる昭和二十六年三月二十一日、二ヵ年にして総坪数十六坪四間四面の荘厳なる奥殿、並びに納骨所の完成を見るに至る。

 昭和二十六年五月十七日、遷座式並びに納骨奉安式を挙行。参列三ケ寺、当寺創立以来二十四年にして永遠の基礎固めも成就し、然して愈愈寺門の興隆と光輝を見つつあり。この道程においては総代並びに世話人の労、又待つもの多く外護の功業甚大なり。

付記 福王寺第一世雅泉和尚は、明治四十三年五月十八日、神奈川県茅ヶ崎市円蔵、輪光寺において父福井憲雄、母ヒデの長男として出生。大正十一年輪光寺道場において阿闍梨 玉園快應和尚について剃髪得度。
昭和二年、師父開基憲雄和尚に随い渡道、手足となって開教をたすける。
昭和十五年、中川文枝と結婚、坊守として迎える。昭和十九年、開基憲雄和尚の遷化にともない、住職継承。昭和三十四年庫裏の改築等、諸堂境内の整備に努め、福王寺第一世として寺院の興隆に一身を捧げたことは、回顧録の通りである。

福王寺第一世住職 雅泉僧正
昭和四十一年四月、病魔に倒れることとなり、療養生活に入る。
平成三年三月三十一日遷化。行年八十三歳

寺院沿革

昭和2年7月(1927)
福井憲雄師は美幌町豊沢弘真師の紹介により一条家を訪問、大師堂、並びに用地を無償で借り受け、開教に着手。 時に憲雄師53才、雅泉師18歳
昭和3年4月(1928)
「高野山大師教会津別支部」設置、本山認可
昭和3年4月(1928)

活汲原野三二九番地(現柏町十四番地)に本堂建設起工、同年八月三十日竣工。
廊下とも二十九坪

昭和3年9月(1928)
一条家より大師堂の寄進を受け、本堂建設地に移転、庫裏とする。
昭和4年4月(1929)
「高野山大師教会津別支部」道庁認可。
昭和4年6月(1929)
新寺建立にあたり、本山より弘法大師尊像、祓びに前具下賜。9月21日、総代中西彦太郎氏宅をお旅所として入仏式を挙行
昭和5年8月(1930)
一条家より活汲原野二五八番地の一(現柏町九番地)、原野五反六畝十歩の寄進を受く。
昭和6年6月(1931)
寒修行浄財(井川ふじ子・福井キヨ・田村すず子)にて不動明王尊像を奉迎。
檀家数94戸となる。
昭和6年7月(1931)
新四国八十八ケ所霊場開設
昭和9年5月(1934)
高祖弘法大師御入定千百年御遠忌法要執行。
記念台灯籠一対、納衣一領購人 檀家数139戸となる
昭和10年5月(1935)
河合孫市氏より活汲原野三五八番地の二(現柏町十番地)畑四反八畝二十二歩を購入。
昭和10年12月(1935)
冷害克服祈願の為、村内有志浄財
(金剛講講員一同世話人)により毘沙門天尊像奉迎
昭和15年6月(1940)
開基坊守他界
昭和15年7月(1940)
創立13周年記念にあたり、檀信徒一同により
御本尊大日如来尊像奉迎
昭和17年(1942)
「高野山大師教会津別支部」の名称を「真言宗津別教会」改称、寺院規則3月6日本山認可、
3月31日道庁認可。
本堂会堂29坪五合、庫裏24坪、八十八ケ所石仏三十三体完成
昭和17年(1942)
雅泉師後任住職候補登録
昭和19年5月(1944)
開基憲雄和尚遷化 行年70歳 6月4日寺葬執行
昭和21年11月(1946)
宗教団体法の廃改にあたり、
名称を「高野山真言宗福王寺」と改称、届け出申請、本堂屋根替え、庫裏改増築
昭和22年3月(1947)
高野山真言宗福王寺」として木山認可。登記、以降福王寺と公称する。
昭和23年6月(1948)
寺号公称慶讃法要を執行
昭和24年4月(1949)
檀信徒、並びに町内有志により展望台修養道場を建設、境内を「三密園」と称する。
昭和25年4月(1950)
奥殿(内陣)、納骨所の建設を発議
昭和26年3月(1951)
奥殿竣工、 馬渕組清水建設 (工費二五三,二五〇円)五月十七日遷座式を執行する。
昭和27年7月(1952)
宗教法人「高野山真言宗福王寺」本山認可。
同8月14日 道知事認可。8月31日登記完了。
昭和29年3月(1954)
金剛講寒行浄財により、修行大師像を建立納衣七条を購入。
昭和30年9月(1955)
本堂とたんを葺く。展望台とりこわす。檀家数百八十戸となる。
昭和34年11月(1959)
庫裏新築竣工三十一、七五坪 総経費一,九二五,一六七円、施工 津別建設
昭和35年3月(1960)
柏町九番地 土砂処分。代替え地として共和山林五反歩取得。
昭和35年11月(1960)
高野山開創千百五十年記念、並びに庫裏落慶法要を執行
昭和38年10月(1963)
高野山奥の院へ献灯一基
昭和39年4月(1964)
法嗣全雅師本山(高野山)入山。修行に入る
昭和40年4月(1965)
高野山開創千百五十年法要団参 33名
昭和41年4月(1966)
住職雅泉和尚、病床につく。
昭和43年5月(1968)
法嗣全雅師帰山。寺務に就く
昭和46年4月(1971)
上水道設置
昭和48年11月(1973)
本堂修築、移転(後方九間)増築工事竣工
(四十七年八月発議)三八一,五四㎡ 天野建設
昭和49年5月(1974)
弘法大師御生誕千二百年年記念、並びに本堂修築落慶法要執行
同年、全雅和尚後任住職候補申請認可、副住職となる
昭和51年2月(1976)
町道用地として柏町十四番地の一部、三一二.六五㎡を寄附する。正門出入り口交換取得
昭和54年12月(1979)
霊牌堂竣工、一六九.五一㎡(五十三年八月発議)総工費二八,四九二,七00円
施工 津別建設・善光堂
昭和55年7月(1980)
庫裏新築竣工、一九九.六五㎡ 施工 建設
総工費一四,八四〇,〇〇〇円
昭和56年4月(1981)
福王寺婦人会発足
昭和56年5月(1981)
霊牌堂庫裏落慶法要執行
昭和57年5月(1982)
新四国霊場全石仏完成
昭和58年6月(1983)
第一回万灯会執行
昭和58年9月(1983)
本堂土台、屋根修理  施工 双葉建設
昭和59年4月(1984)
弘法大師御入定千百五十年御遠忌団参 二十九名
檀信徒一同により奥の院へ大灯籠一基を奉納
昭和59年5月(1984)
篤志、並びに伺堂浄財により水子地蔵尊、
および6地蔵尊を水かけ地蔵として建立、開眼をする
昭和59年5月(1984)
正門門柱建立 施主斎藤信吉・キセ殿
昭和61年3月(1986)
開基六十一周年事業実施を決定、七月玄間・受付・トイレ部分の増修築竣工
施工建設 (この年より年度当初に定例総代会を開催する事となる)
昭和62年9月(1987)
客殿増築工事竣工。 施工 双葉建設
昭和62年11月(1987)
開基六十一周年記念式典、全雅和尚晋山式執行
昭和63年6月(1988)
庭園造成
昭和63年10月(1988)
物置建設、法語塚建立開始
平成2年4月(1990)
四国八十八ヶ所二国巡拝20名
平成3年3月(1991)
福王寺第一世雅泉和尚遷化
平成3年5月(1991)
四国八十八ヶ所二国巡拝23名
平成3年5月(1991)
祠堂金・積み立て金にて住宅二階増築 施工 建設
平成3年~4年(1991~1992)
八十八ヶ所番外二十体石仏建立 各施主募集による
平成4年3月(1992)
雅泉和尚一周忌法要
福王寺先師供養塔建立開眼 施主第二世住職
平成5年5月(1993)
本山参拝・大阪真言宗大会団参 十名参加
平成5年7月(1993)
福王寺成年部発足・前庭舗装工事
平成5年8月(1993)
本堂建築に関わる檀信徒総会開催、五ヵ年計画着手決定
平成6年6月(1994)
生垣用イチイ等、泉貢氏寄付植樹 成年部作業奉仕
平成8年4月(1996)
後嗣福井隆雅坊 高野山三宝院道場にて得度
平成8年5月(1996)
本堂建立地鎮祭 同七月上棟式 同11月完工
平成8年11月(1996)
報讃会兼ご本尊新本堂遷座法要
平成10年10月(1998)
落慶法要 導師 高野山三宝院住職 飛鷹全隆上剛
平成11年11月(1999)
前庭未舗装分舗装工事 地崎舗道
平成12年4月(2000)
高野山団参(ご本堂完成お礼参り) 三十一名参加
平成12年5月(2000)
十二支守り本尊石仏建立
平成12年 月(2000)
霊拝堂・客殿 外部塗装工事   みうら塗装 美幌町新町
平成13年4月(2001)
東寺参拝、高山祭り見学 団参
平成13年12月(2001)
ご夫君供養の為  木内ミツ子氏 法衣一色 寄付
平成14年3月(2002)
福王寺第一世 内室逝去
平成14年3月(2002)
内室供養の為 木魚寄進 住職全雅
平成14年3月(2002)
70周年 本堂落慶記念誌完成、配布
平成14年12月(2002)
近藤貢氏 七条袈裟寄付
平成15年1月(2003)
後継 隆雅  鈴木美砂氏と結婚
平成15年3月(2003)
先師忌 1世雅泉 13回忌 1世内室 1周忌
平成15年7月(2003)
霊拝堂仏壇増設20基 無縁壇一基
平成16年3月(2004)
1世内室3回忌
平成16年4月(2004)
四国八十八ヶ所 団参 14日間
平成16年5月
13重塔寄付  深谷石材 前庭に立つ
平成16年(2004)
庫裏屋根塗装
平成16年8月(2004)
平成15年度より手がけていた永代供養塔完成 開眼法要執行 篤志寄付にて
平成17年(2005)
本堂用椅子250脚購入 (積立金にて)
平成18年10月(2006)
北海道八十八ヶ所霊場 34番35番札所となり、本尊を奉迎
平成18年11月(2006)
東海林キミ子氏 ご夫君供養のため  本堂前に香炉水鉢を寄付
平成18年(2006)
平成27年高野山ご開創1200年記念大法会にむけてご寄進をお願いする。
記念事業として、隣接した営林署空き地を求める。1,609.99平方メートル(約483坪)
平成19年1月~3月(2007)
福王寺成年部が中心となり営林署空き地の建物を解体
平成19年4月(2007)
北海道八十八ヶ所霊場 開始
平成19年7月(2007)
霊拝堂・客殿外部塗装工事
平成19年7月(2007)
空き地を簡易アスファルトにする工事を執行
平成20年3月(2008)
元営林署用地の2階建ての建物を解体  ベンド建設
同 解体用地 簡易アスファルト
平成20年7月(2008)
十二支本尊鈴を本堂内へ第2世内室 寄付
平成20年10月(2008)
北海道八十八ヶ所霊場 団参 道北方面
平成20年10月(2008)
北海道八十八ヶ所2周年 於 福王寺
平成20年(2008)
霊拝堂相輪の改修
平成21年5月(2009)
北海道八十八ヶ所霊場 団参 道南方面
平成21年8月(2009)
防犯カメラ設置
平成21年(2009)
霊拝堂使用規定設置
平成21年(2009)
本堂両側欄間設置  篤志 江草孝市氏・文子氏・江草一美氏・藤原利信氏
平成22年5月(2010)
北海道八十八ヶ所霊場 団参 道東方面
平成22年8月
西原ヨシ子氏 椅子用テーブル25台 椅子50脚 回し焼香台3基 寄付
平成22年10月(2010)
北海道特別伝道大会 当番教区 於 網走セントラルホテル
平成23年5月(2011)
北海道八十八ヶ所霊場 団参 道央方面  結願
平成23年(2011)
本堂外壁コーティング   ベンド建設
平成24年3月25日~4月7日(2012)
四国八十八ヶ所霊場・高野山巡拝
平成24年8月(2012)
身障者用トイレ設置    ベンド建設
平成25年2月(2013)
霊拝堂仏壇4基 永代供養位牌壇設置   施工 善光堂
平成25年3月(2013)
1世雅泉師 23回忌供養のため 霊拝堂天蓋  福井家
平成26年 (2014)
恩根大師堂廃堂 大師像 預かる
平成27年4月(2015)
高野山開創1200年記念法会 檀信徒参拝
平成27年5月(2015)
高野山開創法会 北海道法会住職参列
平成27年12月(2015)
隆雅後継 第三世住職 高野山親授式 総代4名参列
平成28年4月(2016)
福王寺90周年記念法会・第三世隆雅住職晋山式
平成28年5月(2016)
福王寺北見別院地鎮祭
平成28年12月(2016)
第三十五番厄除け薬師 北見別院へ遷座
平成29年4月(2017)
第三十五番厄除け薬師 北見別院落慶法会
平成29年4月(2017)
福王寺境内 参道整備
平成30年4月(2018)
四国八十八ヶ所巡礼 16名参加
平成30年4月(2018)
広間 並びに受付の屋根塗装
令和元年6月(2019)
境内の砂利整備
令和元年9月(2019)
泉利之さん 石寄付
令和元年(2019)
松本功さん 境内石の階段作成
令和2年(2020)
福王寺婦人部 百万遍念珠寄付
吉岡明和さん 本堂階段修理 (材料 鹿又左官寄付)
坂田英子さん 山林寄付 境内地とする 八十八ヶ所上
全雅名誉住職 寄付された山林を切り開き展望台を作成
令和3年(2021)
泉利之さん 石寄付 参道に石を並べる
令和4年(2022)
泉利之さん 石寄付 参道に石を並べる
錦織さん 馬頭観音菩薩(外へ銅像)寄付
北見別院増築 (4月~11月)
令和5年(2023)
福王寺100周年実行委員会設立 2月
福王寺100周年 本尊造立事業など 勧募開始 6月
東岡馬頭観音菩薩を福王寺へ遷す。 7月
令和6年(2024)
毘沙門天祭執行(山開きと地蔵盆を合併) 6月
福王寺100周年事業として 表のアスファルト整備 7月
福王寺内室 福井眞知子 逝去 8月
 
庭石寄付(坂田氏) 道路側へ設置 8月