3月18日 北見別院 3月21日 津別福王寺にて春彼岸、
並びに弘法大師正御影供法会を実施致しました。
前日の大雪でどうなることかと思いましたが、藤原さんが除雪してくれ大変助かりました。
ウクライナでは戦争が始まり、気持ちが張り裂けそうなニュースが流れています。
誰しもが生まれたからには「幸せになりたい」、「幸せであって欲しい」と願う中、
どうしてこんなにも酷い現状があるのか驚きです。
一日も早い停戦を祈願致します。
朝ドラ「カムカム エブリバディ」に学ぶ
さて、朝のドラマの「カムカムエブリバディ」を観ているのですが、その中に「小豆のおまじない」というフレーズが印象的です。
その都度毎に現れるメインテーマのようなフレーズ。
「小豆の声を聴けえ。時計に頼るな。目を離すな」
「何ゅしてほしいか小豆が教えてくれる」
「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ」
「おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。おいしゅうなれ」
「その気持ちが小豆に乗り移る。うんとおいしゅうなってくれる」
「甘えあんこが出来上がる」
この何して欲しいかは「小豆が教えてくれる」、という言葉が好きです。
私達は「あんこを作った!」となりがちですが、美味しいアンコは小豆が教えてくれる。「今が美味しいよ!」と小豆が私達にメッセージを放ってくれている。
小豆と対話しながら、アンコをこの世界に表現している。決して自分だけの力でなく、お互いが高めあって一つのものをこの世に生み出しているのです。
彼岸
彼岸とは彼方の岸と書きます。インドではガンジス川に例えられ、向こう側を悟りの世界、こちら側を「此岸」、私達の住む苦しみの世界を表現します。
一つ言いかえれば、こちら(私)と世界(他者)とも言えるなと感じています。
自分を超えたところに到る世界が彼岸なのかな?とも考えるのです。
アンコにしてみても、自分が作っているのだけど、小豆が自分でアンコになるために美味しくなっているとこもいえる。
そこに、自分と他が融合したような世界があるのではないかと。
仏師の人も仏を彫り出すとき、木の中に仏がみえるとおっしゃり、ただ木が仏さんの姿になれるよう手助けしているだけのような感覚。
相手があってはじめて自分がいて、お互いが影響しあって今の世界が成り立っている。
それは死者でも同じかなと思います。たくさんのメッセージを死者たちが投げかけてくださる。「幸せでやりなさいよ!」、「応援しているよ!」、
「生きる」上で、もちろん私が生きるのですが、そういう存在に支えられて今私達があるという事も忘れずに過ごし、様々なメッセージを受け取って過ごしていきたいですね。
末筆ながら、一日も早いウクライナの戦争が終わりますようご祈念申し上げます。
南無大師遍照金剛